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1986年12月のベトナム共産党第6回大会で、
社会主義に市場経済システムを取り入れるというドイモイ政策が採択、
中国と同様に改革・開放路線へと転換した。
1996年のベトナム共産党第8回大会では、
2020年までに工業国入りを目指す「工業化と近代化」を
二大戦略とする政治報告を採択した。
政府開発援助と外国投資が経済を牽引している。
アジア通貨危機で一時失速した国内総生産(GDP)の成長率も、
2001年は6.8%、02年7.0%、03年7.2%、04年7.7%と安定成長が続いている。
中国では人件費が上昇基調にあることから、
新たな投資先として近年、注目されている。
こうしたことからも、WTO加盟が政府にとって重要な目標となっている。
労働人口の66%が第一次産業に従事しているが、
近年は第二、第三次産業が急成長。観光業の伸びが特に著しく、
重要な外貨獲得源となっている。
主な輸出品目は原油、衣料品、農水産物。特にコメについては、
タイに次ぐ世界第二位の輸出国。
ベトナムの古典の多くは漢文で、辞書に登録されている単語の70%以上が漢字語といわれており、
漢字と漢字を応用した独自の文字チュノム(字喃)の交ぜ書きも行われたが、1919年の科挙廃止、
1945年の阮朝滅亡とベトナム民主共和国の成立などをへて漢字やチュノムは一般には使用されなくなった。
取って代わったものは、17世紀にカトリック宣教師が考案し、
フランスの植民地化以降普及したローマ字表記「クォックグー」であった。
植民地期にはクォックグーはフランスによる「文明化」の象徴として「フランス人からの贈り物」と呼ばれたが、
独立運動を推進した民族主義者はすべてクォックグーによる自己形成を遂げたため、
不便性と非効率性を理由にして漢字やチュノム文は排除され、クォックグーが独立後のベトナム語の正式な表記法となった。
しかしベトナム建国の英雄ホーチミン(胡志明)が漢詩文に大変秀でていたことからも分かるとおり、フランス統治下での民族主義者の中には伝統的な漢文教養を重んじる人も少なくなかったことから、現在のようなクォックグーのみを用いる表記法には異論も少なくなかった。現在でも知識人の中には次のような理由で漢字教育の復活を主張する意見が根強い